大阪地方裁判所 昭和45年(わ)1604号 判決 1974年5月08日
主文
被告人を罰金一万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用中、昭和四五年一一月一一日及び昭和四六年一一月一八日証人吉川憲司に各支給した分並びに昭和四六年五月二二日同吉川島子に支給した分を被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四五年五月一一日午後一一時四〇分ごろ、大阪市天王寺区大道四丁目八五番地スナックバー白樺こと吉川憲司方において、かねてより同業者として顔見知りである福永年雄(当五七年)と飲酒中、些細なことから口論となり激昂のあまり同人の右顔面を右手甲で殴打し、更に同人に殴りかかられたため、同人の左指を噛み、床に押しつけて馬乗りになるなどの暴行を加え、よって同人に治療約一週間を要する左示指皮下出血等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(傷害致死罪を認定しなかった理由)
本件検察官の起訴は、被告人は前記機会において、福永年雄の後頭部を右手拳で一回殴打したところ、同人から殴りかかられたため再び同人の顔面頭部等を数回殴りつけ、更に同人をタイル張りの床上に押し倒し、その上に馬乗りとなって、その顔面頭部などを手拳で数回殴打し、あるいはその胸倉をつかんで上半身を上下にゆさぶるなどの暴行を加え、よって同人に対し頭部、顔面打撲又は震動によるくも膜下出血などの傷害を負わせたため、同人をして同月一五日午前六時五分ごろ大阪市天王寺区大道四丁目七九番地の自宅において、右傷害に基く脳機能障害により死亡するに至らしめたというものである。
そこで前記認定事実について、≪証拠省略≫を総合してなお詳細にその経緯を見ると、次の事実が認められる。
被告人と福永年雄は前記日時ごろ白樺店内のカウンター前の丸椅子に並んで座り、飲酒中であったが、些細のことから口論を始め、双方立上って向いあった。この時丸椅子の一つが倒れ、物音を聞いて二階から降りて来た吉川憲司が双方をとりしずめ、自分も丸椅子に座り、その左右に福永と被告人を座らせ、双方に仲直りのためのビールを出した。しかし、福永がなおもぐずぐず言うので被告人は再び激昂し、吉川の後に立って行き、椅子に座ったまま被告人に身体を向けている福永の右顔面を右手甲で一回殴打した。吉川は自分が仲裁に入っているのに、なお被告人が暴力を振ったことに腹を立て、被告人の胸倉をとって店内東奥壁ぎわに並べてある椅子の上に押し倒した。被告人が右椅子に座るような格好で倒れこんだところ、福永が被告人の上にのしかかり、床にずり落ちた被告人に馬乗りになって被告人を殴ったので、被告人は福永の左指を噛んだ。そしてその後すぐに、今度は被告人が福永に馬乗りになった。吉川は感情的に福永の味方をしていたため、福永が上になっている間は黙って見ていたが、被告人が上になると同時位に被告人の首筋を持って引離した。吉川島子は福永が怪我でもしていないかと頭や顔を調べたが異状はなく、ただ指先から血が出ていたので、その手当をし、福永は右島子に途中まで送られて帰宅した。
ところが、その四日後の五月一五日朝福永が急死したため、鑑定人加島融によって即日その死体の解剖が行われた結果その前額中央部、右眉毛部、右上腕内側、右前腕小指側、左右手背部、左示指部背側、右中指部背側、左腰部外側、左大腿後面、左右膝関節部前面、左足関節部前面内側にそれぞれ軽微の皮下出血が見られたほか、皮膚表面に損傷の痕跡はないが、内部において胃及び小腸表面に漿膜下出血がまた頭腔内部にはくも膜下全般にわたってびまん性のくも膜下出血が認められ、これらはいずれも解剖時現在三日以上四日以内位を経過したもので、この脳くも膜下出血並びにこれに続発する脳腫張による脳機能麻痺が死亡の原因であると判定された(ただし、同鑑定人は、第一二回公判期日においてその死因を右脳腫張による脳機能麻痺にもとづく脳くも膜下出血(第二次)であると訂正している。)。ところで同鑑定人によると、右第一次の脳くも膜下出血は解剖時現在三日以上四日以内位に与られた頭部、顔面の打撲もしくは頭部振盪にもとずくものとされているので、他にそのような打撃などを受ける可能性の考えられない本件においては、その頭腔内の出血は一応被告人の前記暴行に基因するものと言えないわけではない。
そこで、更にその点について検討するのに、≪証拠省略≫によれば、一般に脳くも膜下出血は外傷性にもとづく場合と病的に生ずる場合とがあり、その何れであるかを決定するためには脳底部の動脈瘤の有無についての検査が不可欠であるが、この検査は脳底部の動脈輪を凝血と共に剔出して一〇パーセントフォルマリンをもって固定し、数時間後に凝固血液を洗い去り、ルーペで順次脳動脈を追って破綻部を探さねばならず、これには十分の注意と熟練が必要であって、特に小さな動脈瘤は解剖台上の検査では見逃しやすいものであることが認められるが、前記加島融作成の鑑定書には右検査がなされた旨の記載は全くない(もっとも≪証拠省略≫によれば、動脈瘤の検査をしたとのことであるが、どのような検査方法をとったかの具体的説明はない)。してみれば、この点に関し、加島融の鑑定には重大な欠陥があるといわなければならない。
右に反し、溝井泰彦作成の鑑定書では、福永の死因は脳くも膜下腔血管の破綻であり、その破綻の原因について病的なものか、外傷に由来するものかの判定は脳の存在しない現時点では不可能であるが、三通りの考え方ができ、その一つの場合として、五月一二日から一四日の間頭痛が持続しやや異常であった生活が窺えるが、それは五月一一日の事件とは無関係にたまたま起っていた血圧の亢進等によるもので、そのような症状が続いた後、一五日に動脈瘤等の血管破裂により病的出血が起り死亡するに至ったとも考えられるとされている。
また、三上芳雄作成の鑑定書によれば、福永の死因は同様くも膜下出血であり、その出血は脳底部血管の破綻が十分考えられるが、その破綻が外力に由来したものか、あるいは動脈瘤が存在していて、それが外力または精神興奮(血圧上昇)等により破綻したものかについては、鑑定時点では不明である。そして右出血は、昭和四五年五月一一日の被害時から死亡までの間に破綻した脳血管から、少量徐々に連続的に又は断続的に出血したものであるとしている。しかし、右出血時期に関する鑑定は、同鑑定書に説明されているように、≪証拠省略≫によって認められる福永がけんかをして帰宅後の同人の行動、特に頭痛を訴え始めた時期を主たる根拠とするものであるから、出血の時期は被害時(五月一一日午後一一時四〇分ごろ)からと断定はできず、ほぼそのころ、正確には翌一二日午前八時以前ごろからとすべきこととなるように思われる。けだし、≪証拠省略≫などによっても一一日には帰宅後別段頭痛を訴えることはなく、頭が痛いと言出したのは翌朝八時ごろだからである。以上の検討を経た後の三上芳雄の鑑定と前記溝井泰彦の鑑定によれば、脳くも膜下出血の時期について五月一五日に一時に出血したか、それ以前の五月一二日午前八時以前ごろから一五日ごろまで少量ずつ出血したかの相違はあるが、その原因については精神興奮(血圧上昇)などによって以前から生じていた動脈瘤が破裂したと考える余地があり、右出血の時期及び原因の何れからしても、福永の脳くも膜下出血が被告人の暴行によるものと考えるには未だ合理的な疑を完全にぬぐい去ることはできない。
したがって、結局検察官主張の傷害致死の訴因は証明が十分でないと言わねばならない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は(弁護人は、いわゆる可罰的違法性を欠くと主張するが、理由がないので採用しない)、刑法二〇四条及び行為時においては昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条、三条一項に、裁判時においては改正後の同法二条、三条一項に該当するところ、犯罪後の法律により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用して主文掲部の分を被告人に負担させることとする。
よって主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石田登良夫 裁判官 神田忠治 裁判官鈴木純雄は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石田登良夫)